食いしん坊ちゃんで5のお題
・コレもお前も両方食いたい
「コレもお前も両方食いたい」
正面きってトリコさんに言われた。あぁココさん、あなたが言うようにトリコさんは本当に「食いしん坊ちゃん」なんですね。今までトリコさんに「ちゃん」づけのイメージはなかったけれど、今は強く思います。
「コレは生物です。ぼくは生物ではありません。優先順位をつけるなら早く痛んでしまう方を先に食べましょう」
トリコさんが感覚的に言ったのはわかるけど、現実問題として、空気に触れたら腐敗がはじまる肉をさばいてる最中に言われても困ります。
「早くしゃぶしゃぶして下さい。せっかくの食材が無駄になります」
それはトリコさんの本意ではない。
出汁のはいった鍋と薄く切った肉を入れれば、慌ててトリコさんは食べはじめる。早く早くとぼくはせかす。自分より大きな動物を一頭丸ごとさばき続けるのは疲れる作業で、気づいたら眠っていた。
気づいたらなんて嘘。半分はわざとです。
・一滴も残さねぇよ?
「一滴も残さねぇよ?」
何度目かの告白の後、トリコさんが言った。
トリコさんはどうやらぼくが好きらしい。なんの冗談だと最初は思った。男で、美男でもないし(ココさんを見慣れた目は悲しいかな採点が厳しくなる)、ましては女性的でもない。バレンタインも義理チョコ以外もらっていない人生だ。
冗談だと思ってかわし続けていた。かわすたびに胸がどんどん痛くなる。怪我で痛くなるならわかる。怪我が痛くて涙がでそうになるのもわかる。でも怪我もしてないのに涙がでるのは何故だろう?
零れた雫が頬を伝う。落ちるまえにトリコさんが舌で涙をすくった。
一滴も残さないという、その情熱に本気を感じてぼくははじめて怖くなった。
・足りねーんだけど、おかわりチョーダイ
「足りねーんだけど、おかわりチョーダイ」
食事を平らげた後、トリコさんが言った。当たり前だ。百人分は軽く食するトリコさんが、十人前で足りるはずがない。わかっていても、ぼくは量を抑えて作った。別に食べ物でトリコさんに意地悪している訳じゃない。トリコさんだって、食べ終わってから足りないと言う。足りない量なのは見ればわかるはずなのに、最初からなにも言わない。
足りないと口にすることに意味があるのだ。おかわりがほしいと。
トリコさんらしい切ない求愛だとぼくは思いながら、彼のためにボウルサイズの特大丼にごはんを盛るのだった。
・食いたい食いたい食いたい。なんで駄目なの?
「食いたい食いたい食いたい。なんで駄目なの?」
ひさびさにストレートに聞いてくれるのだから、一瞬ぼくは言葉につまった。
「食べていいですよ」という料理もストックもここにはない。あるのは、ぼく、とトリコさんだけ。今まで逃げ腰で、はっきりとトリコさんに返事をしなかったけど、もしかしたら今が勝負所かもしれない。
「ぼくがいいというトリコさんの気持ちがさっぱりわからないのだから、駄目ってこたえるしかないじゃないですか」
「え? それだけ?」
「重要です」
「おれが嫌いとかじゃなくて?」
「好きですよ」
反射的に返せば、トリコさんは呆然とした。次にあのトリコさんが赤くなり、無邪気な笑顔を浮かべる。そしてぼくは、自分が無意識でこたえた台詞を思いだすのであった。
「じゃあ、これからわかってくれればいいから焦らなくていいぜ」
「それはぼくの台詞です」
がついてるのは誰だと言いたくなる。
「小松を食べるかわりにフルーツが食いたい」
なんでいきなり果物なのか、不思議に思って聞いてみれば、
「甘酸っぱくていいだろ」
いやらしいというか、意地悪というか、ひとの悪い笑みをトリコさんは浮かべた。
「今日はそれで勘弁してやるか」
たまにトリコさんの言語がわからなくなる。
・やっぱお前のが一番美味い
「やっぱお前のが一番美味い」
トリコさんは満面の笑みでごちそうさまと両手を合わせた。
ふいにぼくがトリコさんへの好意に気づいたように、ふいに今、トリコさんのぼくへの好意を感じてしまった。わからないと言った過去の自分は節穴だと思うほど唐突に、深く、心に染みて、急激な変化に泣きたくなる。
心がついていかない。
好きだと告げたのは弾みで言った一回だけ。今さらどんな顔で言えばいいのかわからない。
「トリコさん」
好きと言えないかわりに名前を呼んだ。
ぼくを食べられないかわりに果物を食べるとトリコさんが言ったのはいつだ?
丼でかわすぼくを根気よく待っててくれたのは?
涙を拭ってくれたのは、ぼくを食べたいと言ったのを別の食材でごまかしたのは、いつ?
激しい後悔は好意の深さだ。申し訳なくて心が潰されそうになる。
こんなぼくでもおいしいと言ってくれるなら、全身全霊でさしだしたい。
あなたに。
おわり