リーマンココマ
二十分後、無事、資料をまとめて小松は会議室に滑りこんだ。常日頃、資料やデータをこまめにまとめているため、頭のなかで整理できていれば資料を作成するのは容易かった。
ぎりぎりに来た小松に、副料理長は嫌な顔をしたがなにも言わなかった。
「遅れてすまない、今日は××線を利用する社員の遅刻は、連絡があった場合のみ大目に見てほしい。決してぼくの保身ではない」
と言ってあいさつをしたのは、ココだった。
「本社に戻られてたんですね」
と誰かがココの役職を口にしたが、聞きなれない単語で小松は耳に入ってこなかった。
「三ヶ月ほど視察も兼ねてあちこち回っていたからね、月曜会議には出られなかったけど、報告したいことが何点かある」
穏やかな声音を一転して厳しいものに変えたココに、一同の緊張が走る。
「みんなも知っている通り、レストラングルメの本店料理長の小松くんだ。彼の味がまだ本店に活かされていない。チェーンの味を守るのは大事だ。だが彼の味はチェーンの味を守りながらも、それ以上のものを出している。本店のスタッフは料理長の指示を聞くように」
突然でた自分の名前に小松が目を白黒させていると、隣の席の副料理長が異を唱えた。
「そんな曖昧な理由で、指示を聞くよう命令されても誰も納得できません」
「きみは上司の料理は食べてみたかい?」
「いいえ」
「失格。自分の上司の味を確かめようとしない部下など必要ない」
突然の解雇宣言に、室内がざわめいた。
「待ってください。たった一度あなたの意にそぐわない行動をしたからって、必要ないなんて横暴です」
抗議をしたのは小松だった。副料理長との仲は良くない。だからといっていなくなればいいと思ったことは一度もない。それに、度胸もなくて部下らに料理を振舞えなかったのは小松の弱さだ。彼らの責任ではない。
「なら、この場合きみならどう解決する? なにか考えがあって意見をしたのだろう?」
「解決策なんて大袈裟な・・・みんなでご飯を食べればいいじゃないですか」
小松がさも、あたりまえのように言う。
「もうすぐお昼ですし」
小松は腕を組んだ。
「やっぱり丼とお味噌汁ですね」
なにが「やっぱり」なんだと、聞いている者は思ったが、ココと梅田だけ苦笑を浮かべていた。
「小松ちゃん、冬のフェアに使う予定のシャクレノドンがあるから使っていいわよ。食材部門のトリコちゃんが今朝方捕獲したばかりでノッキングも溶けてないから新鮮よ」
「ありがとうございます! 丼はメニューにないので作るのが楽しみですね。ちょっと行ってきます。12時には用意して戻ってきますので」
小さな台風は足取りも軽く出ていった。
戻ってきた小松はワゴンに、窯と鍋を持ってきた。何人かの社員に手伝ってもらったようだ。
「何故ここで盛り付けを?」という疑問に、
「目の前で丼が用意されるのってわくわくしません? レストランではそーいったことできませんし、自由に使わせてもらえるなら普段できないことをしたいですしね」
小松は屈託なくこたえた。それは、同意するか否定するかは個人の自由だと小松は思うが、どうせなら楽しく料理を作っておいしく食事をしてもらいたい。
シャクレノドンの親子丼にかかる薬味はハーブだった。小さな葉に粉末のハーブが小さく盛られて、小松はひとつひとつを楽しむのも、ミックスするもいいですと言った。
ひとそれぞれの好みで食べる丼は、創意工夫があっておもしろい。小松に敵意を抱いていた副料理長も「うまい」と呟き一気に食べた。誰もがお代わりを望む中、残りは通りかかりのトリコに全部平らげられた。
彼が「うめえぇえ!」と叫んだため、室内の空気は一気に変わった。美食屋として名高い彼がうまいと認めたのだ。誰もが、小松の腕を認めた。
「なんだよ、こんなうまい料理を作る奴がウチにいたのか?」
「地方にいた支店の料理人だったのを、ぼくがスカウトしてきた」
「ええ!!」
と驚いたのは小松他、一同だ。
「あれ、もしかしてまったく気づいてなかった? あまりのおいしさに小松くんのシフトを調べて通っていたのに」
「すみません」
「ストーカーされたことをつっこめよ、おまえ」
トリコが代表してつっこんだ。
(それで今朝は声をかけてくれたのかな)
疑問に思う小松をよそに、昼食会のため延びた会議が終わった。食器はとっくに下げられていて、本店に戻ろうと席を立つ小松に、副料理長が「すみませんでした」と頭を下げた。
「料理人として視野が狭かったと反省してます」
「なら、これから一緒にがんばりましょう。ぼくは料理長としてまだ新米で、あなたに助けてもらいたいことは情けないほどたくさんあります。ぼくを助けてください」
助けを、これほど堂々とさわやかに宣言する者はいないだろう。小松は気負いもなく言ってのけた。変わろうとしている部下を前に、自分も変わらなければいけないと小松は誓う。
(ココさんにも、改めてお礼をしたいな)
「おまえが直々にスカウトなんて珍しいな。いつから仕事熱心になった」
ふたりきりきなると、幼馴染の気安さからかトリコはココにつっこんで聞いた。
「小松くんの料理を食べたならわかるだろ? おいしいだけじゃない。それ以上のものを食べる者に与えてくれる」
「本店はちょっと崩れかけてたからなあ。小松みたいな料理人がいれば活気がつくだろ」
「彼みたいな料理人がうちのグループで働いてくれてよかったよ」
「まったくだ」
トリコは一服を終えると、室内から出ていった。
ココの机には小松の書類がある。いくらココとは言え、一介の料理人をいきなり本店の料理長に抜擢するには無理があった。小松の味に自信はあったので、推薦には怯まなかった。ただ、無茶を通した代償として会長からはしばらく国内で仕事に精を出せと、今まで好き勝手やっていたココに役職を与えた。
(おやすいご用さ)
小松を側に置くための本店抜擢だったのだ。本社にいられる大義名分にココが意を唱えるわけがない。むしろ願ったりだ。
今日は電車で出勤せよという占いに辟易したものの、小松と親しくなるきっかけを得てココは嬉しくなる。
「まずは食事かな」
ココの笑顔は明るく、その心はほの暗い。階下を見下ろせば、レストラングルメが見えた。ガラスに映る自分の顔に、ココはにやりと笑いかけて仕事へと戻るのだった。
終わり
そしてほの暗い・・・